六
オモイカネ。その正式な御名を“八意思兼神”という。イザナギを補佐する参謀の役割を果たしている、知恵と知識の神である。
長い髭を生やし、威厳が漂う容姿は、イザナギよりも遅く生まれたものの、彼よりも年上に見える。
彼こそが現在、高天原でイザナギに次ぐ権力をもった神である。
ただ、本人はその地位に決して満足してはいないようであるが・・・。
彼は、イザナギの娘、息子達より、自分が遙にこの世界を統治するのに相応しい血統である、と常々思っている。
実際、彼の血は誰もが認めるほど高貴なものである。
彼の親・・・。その御名こそ、“高御産巣日神”(タカミムスヒ)・・・。
この世界に初めに現れた別天津神五柱の中でも別格な、この世界を創り上げた“創造の三柱”の一柱である。
以下、別天津神について少し説明しよう。
この世界に初めて現れた神、それが、天御中主神”であった。この神はこの次元を切り開き、この世界の元を作った、八百万の神の頂点に立つ最高神である。
彼は(便宜上“彼”と呼ぶが、創造の三柱に性別はない。彼らは男であり、女であり、性別さえ超越した存在であるからだ)その直後、この次元と融合し、この世界となった。
つまり一瞬にして姿を消したわけである。
しかし、天御中主が切り開いたこの世界は、まだ軽いものも重いものも、綺麗なものも濁ったものも、すべてが一緒になった混沌(それは、まるで水に浮いた脂のようであり、海にあてもなく漂う水母のようでもあった)状態だった。
その生まれたばかりの世界で、続いて同時期に出現した神が、前述の高御産日神、そして神産巣日神(カミムスヒ)。
この二柱がこの世界を形作ったと言われている。
タカミムスヒはこの混沌の世界から、清く綺麗なもの、上に浮かぶ軽いもの等を集め、天上に天津神の住む美しい世界を作った。
逆にカミムスヒは、この混沌の中から、暗く濁ったもの、水に沈む不浄なものなどを集め、流動的ながらも、海と大地の原型を作り上げた。
つまり、タカミムスヒが高天原を、カミムスヒが葦原中国のおおもとを創生したのである。この三柱が神々の中で最も尊ばれる所以である(最も、その大地は、大地とは呼べないくらいの濁った、海の中に漂う泥の塊であったのだが)。
そして彼らもまた、自ら創った世界と一つになった。
タカミムスヒは高天原に初めて生えた、巨大な杉の木となった。その頂点は、未だどの神も見たことはないほど高く聳え立ち、下から見れば頂上は霞んでしまっている。もちろんこの木に登ろうなどという不謹慎な神は誰もいない。
よって誰からともなく、この巨木に変化したタカミムスヒを「高木の神」と呼ぶようになったという。
前述のオモイカネは、この木から出現した神である。
そしてカミムスヒ。彼女(こちらも便宜上“彼女”と呼ぶ)も大地に溶け込み、泥の粒の一つ一つに、海の水の一滴一滴になったわけである。
やがてその、まだ泥のような大地から、葦の芽が、幾本も、幾本も萌え上がる。
創造の三柱の次の世代の別天津神の出現。
荒涼の大地は一面、葦の草で埋め尽くされた。その叢の中から初めて、「男」の神が現れたのである。
その名も宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコ)。彼はこの泥と塩水しかない大地に初めて「葦」という植物を育成させたのである。
同じ頃、天上界にも変化が起こる。
最後の別天津神 、天常立神の出現である。その名の通り、この神はただ軽いものが集まった天上界の大地を、高天原として確立させ、他の天津神発生の要因を決定した。彼がいなければ、この後、第二世代である「神代七代」が現れることはなかったであろう。
そして彼ら二柱もまた、自ら大地と融合し、消えていったのである。
ところで・・・。
前述のニ柱、タカミムスヒとカミムスヒは、同時期に現れ、名前も似ていたが、お互い相容れることはなかったといわれている。
確かに、二柱は姿も(タカミムスヒは男性的、カミムスヒは女性的な容姿をしていたらしい)、成したことも、対極的であるが故に、確執がなかった、とはいえないだろう。
だからこそ、天御中主がすぐに身を隠した理由もわかるのである。
人は三人集まれば派閥が生まれる、とも言われる。全てにおいて中立の最高神である天御中主にとって、このニ柱のどちらかにつくことは絶対にしてはならないことだったのであろう。
どちらにせよ、天を、高天原と天津神を好んだタカミムスヒと、地を、豊葦原中国と国津神を愛したカミムスヒの対立が、後の、天と地を巻き込んだ大戦争に発展するのであるが・・・。
それはまだスサノオ達の代の話ではない。今語ることではないだろう。
尚、オモイカネには妹いる。彼女もまた、兄に劣らぬ野心の持ち主であるが、今はまだ出番ではない。後々、その姿を見せるであろう。